第3日目の旅歩きの写真

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ロープウェイより下田市街
寝姿山ロープウェイより下田市街と稲生沢川を俯瞰

ロープウェイ頂上駅
寝姿山ロープウェイの頂上駅にて。アロエの花満開

寝姿山展望台にて。
寝姿山展望台にて。伊豆七島の一つが微かに見える。

寝姿山展望台の大砲
寝姿山展望台の湾を狙う大砲

稲生沢川に架かる人魚橋
稲生沢川に架かる新下田橋(人魚橋)から下田港を臨む

弁天島
吉田松陰が密航前に隠れていたという弁天島

吉田松陰の新しい銅像
弁天島堤防の突端にある吉田松陰の新しい銅像

玉泉寺の山門
日本初の米国領事館の置かれた玉泉寺の山門。

玉泉寺の本堂
日本で最初の米国領事館の置かれた玉泉寺の本堂

吉田松陰の古い銅像
吉田松陰の古い銅像

ペリー提督と江戸幕府の結んだ日米和親条約の第11条により、タウンゼント・ハリスがアメリカ駐日総領事として下田に派遣されて来た。 ハリスは下田に上陸すると、信任状と着任を報ずる書簡を下田奉行・岡田備後守に提出し、和親条約に基づく総領事着任という訪日目的を伝えた。下田奉行は急ぎ幕府にその取り扱いの指示を仰ぎ、ハリスの「御用所に部屋を分けて欲しい」という要求を断り、とりあえず柿崎の玉泉寺を宿泊地として提供した。
ハリスは1857年6月17日(安政4年5月26日)、下田で日米和親条約の補修協約「日米協約」を結んだ。これは、ペリー提督との和親条約締結時から変化した状況に対処し、より細かい規則を定めたものでした。
ハリスはまた自分は大統領の親書を持ってきた使節であるから、江戸に赴いて将軍に直接差し出したいと申し出ていた。しかし、交渉代表者の下田奉行・井上信濃守と中村出羽守は、幕府から全権を委任されているので下田で渡してくれと交渉したがハリスは納得しなかった。結局、老中・堀田備中守もその国際関係の意味するところを考え、更に、1857年7月にアメリカの砲艦が下田へ入港すると、幕府は江戸へ直接回航されることを恐れてハリスの江戸出府、江戸城への登城、将軍との謁見を許可した。
ハリス、ヒュースケンらの一行は1857年10月に下田を出発し、江戸に入る。江戸では蕃書調所に滞在して登城の日取りが決められ、10月21日(旧暦9月10日)に登城し、13代将軍の徳川家定に謁見して親書を読み上げている。

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