第2日目の後半の写真

写真をクリックすると、拡大写真が現れ、 「next」ボタンでスライド・ショウにして見ることも出来ます。

下賀茂熱帯植物園の入口
温泉の熱を利用した下賀茂熱帯植物園の入口

熱帯植物園の花々
熱帯植物園の温室に咲く様々な熱帯の花

蘭の花
熱帯植物園の温室に咲く美しい蘭の花

河津桜
南伊豆の下賀茂を流れる二条川畔の河津桜

吉田松陰が投宿した宿
吉田松陰が下田で投宿した旅籠跡

吉田松陰拘禁の地
吉田松陰が密航に失敗の後、拘禁された寺の跡

了仙寺
日米和親条約附録下田条約が調印された了仙寺

了仙寺の案内板
了仙寺に纏わる歴史を説明する案内板

嘉永7年5月13日(1854年6月8日)から、日米和親条約附録下田条約の交渉は始まり、25日(1854年6月20日)ペリー提督と林大学頭以下7名の日本全権により下田の了仙寺において、条約書が交換された。
この条約は日米和親条約を受けて細目13ヶ条から成っており、7里以内の関門出入りの保障、上陸場所3ヵ所(下田、柿崎他)の設定、休息所(了仙寺、玉泉寺)、埋葬所(玉泉寺)の設置、所用品売買の取扱い、港内水先案内人の設置等が主とされている。
その交渉の初日、米艦隊は17発の礼砲をとどろかせて町民を驚かし、ボートを連ね、ペリーは下田に上陸した。大砲4門をひく砲兵隊を先頭に、軍楽隊、士官、剣つき鉄砲等もった、総勢三百人をこえる大行列であった。
また了仙寺本堂における交渉では、日本側は畳を積み重ねた上に正座して、椅子に座ったアメリカ側と目の高さを合わせたという。

下田海中水族館の入口
了仙寺から歩いて30分の下田海中水族館

イルカ・ショウ
下田海中水族館のイルカ・ショウ

▲このページのトップへ