第2日目の旅歩きの写真

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下田港の黒船
観光バスの最初の訪問は下田港の黒船サスケハナ号

下田湾内クルージング
下田湾内の堤防を抜けてクルージング

寝姿山
港に帰港する折、寝姿山と黒船ホテルが臨まれた

宝福寺
宝福寺は日米条約交渉の日本全権の奉行所が置かれた所でもあり、唐人お吉の墓もあるお寺です

唐人お吉の肖像画
知的で現代的な唐人お吉の肖像画

唐人お吉のお墓
水谷八重子が建てたという唐人お吉のお墓

海舟謁見の部屋
土佐藩主山内容堂と軍艦奉行勝海舟が謁見した部屋

坂本竜馬像
宝福寺門前に立つ天馬となって飛翔した坂本竜馬の像

文久3年(1863年)1月,第15代土佐藩主、山内容堂の乗った大鵬丸と勝海舟を乗せた幕府軍艦・順動丸が、嵐により風街ち港"下田"で偶然鉢合わせになった。先に宝福寺に滞在していた容堂は、海舟を宴席に招き、そこで海舟は、坂本龍馬の脱藩の罪を許してくれるよう容堂に懇願した。お酒が飲めない海舟を知った上で、容堂は大杯にお酒を注いですすめた。
それに対し、なんと海舟は一気に飲み干したという。それを見た容堂は脱藩の罪を許しましたが、さらに粘り強い海舟は、その証が欲しいと求めた。そして、容堂は白い扇に自らの号を書き、海舟に渡したとされ、このことをもって龍馬は免罪された。
翌年、一旦は赦免された龍馬は再び脱藩し、その後、亀山社中を設立、薩長連合を成立させた。宝福寺は現在、「龍馬ゆかりの地」として坂本龍馬の歴史を伝えている。

吉田松陰逗留地
吉田松陰が下田滞在中に宿泊した旅籠跡

松陰拘禁の地
吉田松陰がが密航に失敗した後拘禁された寺の跡

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