平家物語巻四 信連の項

原文
さるほどに、宮は、五月15夜の雲間の月を眺めさせたまひて、何の行方も思し召しよらざりけるに、源三位入道の使者とて、文持ちて忙しげに出できたる。宮の御乳母子、六条の亮の大夫宗信、これを取って御前へ参り、開いてみるに、「君の御謀反既に現れさせたまひて、土佐の畑へ流し参らすべしとて、官人ども御迎へに参り候ふ。
急ぎ御所を出でさせたまひて、三井寺へ入らせおはしませ。入道もやがて参り候うべし」とぞ書かれたる。宮はこのこといかがせんと、おぼしめしわづらはせたまふところに、宮の侍に長兵衛尉長谷部信連といふ者あり。折ふし御前近ふさぶらふけるが、進み出でて申しけるは、「ただ何のやうもさふらふまじ。女房装束に出でたたせたまひて、落ちさせたまふべうもやさふらふらん」と申しければ、このぎもつともしかるべしとて、御髪をみだり、重ねたる御衣に、いちめ笠をぞめされける。六条の亮の大夫宗信、唐傘持ちて御供仕る。鶴丸といふ童、袋に物入れて戴いたり。
例えば青侍が女をむかへて行くやうに出でせたまひて、高倉を北へ落ちさせ給ふに、大きなるみのありけるを、いともの軽るう越えさせたまへば、みちゆきびとが立ちとどまつて、「はしたなの女房の溝こえやうや」とて、あやしげにみまゐらせければ、いとどあしばやにぞすぎさせおはします。

現代語訳
その頃、高倉宮以仁王は治承四年五月の十五夜の雲間の月を、眺めながらも心の中は、平家追討について、命令を下したとは言え、今後の成り行きについては、何も分からない不安で一杯でした。その時源三位入道頼政の使者が、 何か手紙を持ち慌ててやって来ました。
高倉宮の乳母の子である六条亮大夫宗信がこれを受け取り、宮の前に参り開いて見ますと、「君のご謀反は早くも漏れてしまい、土佐の幡多へ流そうと、役人達が検非違使発行の命令書を持って、お迎えに向っている様子です。
急いで御所を出られて、三井寺にお入り下さい。この入道もすぐに参ります」と、書いてありました。高倉宮はこれは一体どうすれば良いのかと、思い悩んでいましたが、宮に仕えている侍で長兵衛尉長谷部信連という者、丁度その時御前に控えていたのですが、その侍が進み出て申し上げました。「別に大したことでは御座いません。女房装束に着替えて、ここを落ちて行かれるのが、良いかと思います」と、申し上げました。
成る程そうであったと、髪を乱し重ね着をした上に、市女笠をかぶられました。六条亮大夫宗信が、唐傘を持ってお供しました。また鶴丸と言う童も、袋に身の回りの物を入れてもらい、同行しました。その格好は例えて言えば、身分の低い若侍が、 女を迎えに行くようでした。高倉通りを北へ落ちて行く途中に、大きな溝があったのですが、それを軽々しく飛び越えられ、道を行く人がそれを見て立ち止まり、「なんと、はしたないことでしょう。女房が溝を越えるなんて」と、怪しんでいる様子に、慌ててその場を通り過ぎて行きました。