芭蕉の旅の行程

元禄2年6月6日(陽暦7月22日)

 八日、月山にのぼる。
木綿(ゆふ)しめ身に引きかけ、宝冠に頭を包み、 強力(がうりき)といふものにみちびかれて雲霧山気 の中に氷雪を踏んでのぼる事八里、更に日月(じつげつ)行道の雲関 に入るかとあやしまれ、息絶え身こごえて、頂上に至れば、日没して月あらはる。
笹をしき、(しの)を枕として、臥して明くるを待つ。 日出でて雲消ゆれば湯殿に下る。
谷の傍に鍛冶小屋といふあり。この国の鍛冶、霊水を選びてここに潔斎(けつさい) して(つるぎ)をうち、( つひ)に月山と銘(めい)を切つて世に賞せらる。
かの竜泉(りようせん)に剣を(にら )ぐとかや。干将・莫耶(かんしょう・ばくや) のむかしをしたふ。 道に堪能(かんのう)(しふ) あさからぬ事しられたり。
 岩に腰かけてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる桜のつぼみ半ばひらけるあり。 ふり積む雪の下に埋もれて、春を忘れぬ遅ざくらの花の心わりなし。炎天の梅花ここにかをるがごとし。
行尊僧正の歌のあはれもここに思ひ出でて、なほまさりて覚ゆ。惣じてこの山中の微細、行者の法式として他言する事を禁ず。 よつて筆をとどめて記さず。
 坊に帰れば、 阿闍梨(あじやり) のもとめによつて、三山順礼の句々短冊に書く。
   涼しさや ほの三日月の 羽黒山   
  雲の峯 幾つ崩れて 月の山   
  語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな 曾良

 八日、月山に登る。(曽良の随行日記によると6日)
木綿注連(ゆうしめ)を身にかけ、宝冠に頭を包み、強力という者に道案内されて、雲や霧がただよう山の大気の中を、氷雪を踏んで登ること八里、いよいよ日や月の通路である雲の関所に入るのではと疑われるほどで、息が絶え、身もこごえて頂上に達すると、日は没して月が現れた。笹を敷き、篠竹を枕にして横になり、夜が明けるのを待った。朝日が登り、雲も消えたので、湯殿に下った。    
 谷のそばに鍛冶小屋というのがある。この国の刀鍛冶が霊水を選んで、ここで身や心を清めて刀を鍛え、ついに月山と銘を刻んで世に称せられた。中国ではあの龍泉で剣を鍛えるといわれるとか。また、干将と妻の莫耶の昔を慕う。一道に秀でた者の執念が並々でないことが知られる。岩に腰を下ろしてしばらく休んでいると、三尺ほどの桜の木のつぼみが半分くらい開いているのが目にとまった。降り積もる雪の下に埋もれていても、こうして春を忘れずに咲こうとする遅桜の花の心はけなげである。禅にいうところの炎天の梅花が目の前で薫っているようである。行尊僧正の歌の趣きもここで思い出されて、この桜の花がいっそうあわれ深く感じられる。だいたい、この湯殿山中にかかわるあれこれのことは、修行者のおきてとして他に話すことを禁じている。よって、筆を置いてこれ以上は書かないことにする。宿坊に帰ると、会覚阿闍梨の求めに応じて、三山を巡礼の句々を短冊に書いた。    
  ああ、涼しい。ほのかな三日月が出ている羽黒山    には、 心もすがすがしく清められる。    
  夏空の雲の峰が、いったい幾つ崩れて、夜の月山    になるのだろう。  
  この湯殿の神秘は人に語られないが、それだけに    有難さが感じられ、袂を涙で濡らすばかりだ。    
  湯殿山の参道に賽銭が散らばっている。銭を踏ん    で参拝するとは有難く涙がこぼれる。 曾良

筆者の旅の行程

平成25年9月27日(金)

平成25年9月27日(金)

月山縦走(姥沢から月山を経て弥陀ケ原まで)の写真説明

写真をクリックすると、拡大写真が現れ、 「next」ボタンでスライド・ショウにして見ることも出来ます。

姥沢のリフト下駅に向かう一行
姥沢のリフト下駅に向かう一行

リフト下駅の駐車場から実際のリフト下駅までは10分程歩かねばならない。

リフト上駅に降りて
リフト上駅に降りて

登山支度を整え、準備体操をしてから出発だ。

歩きはじめる
歩きはじめる

始めは姥ヶ岳に向っての少々登り坂を行き、それから右側の谷を行く道を取った。

姥ヶ岳をまいて下りに掛る
姥ヶ岳を巻いて下りに掛る

私達は姥ヶ岳に登らず右側のの谷に下って行き、それから牛首に登る。

雪渓登攀用ロープ
雪渓登攀用ロープ

この谷一帯は夏の初めまで残雪が多く、その雪渓を登るためのロープがあちこちに見られた。

ミヤマリンドウ
ミヤマリンドウ

雪が遅くまで残っているので9月の終わりのこの時期でもミヤマリンドウや日光キスゲがまだ咲いていた。

中間点
中間点(1.5㎞-1.5㎞)

リフト上駅と頂上の中間点で、まだ雪渓が残っているのが見えた。

牛首へ登り始め
牛首へ登り始め

この辺まで緩やかな下りで、これから牛首に向っての急登となる。登山者の列が蟻の列のようだ。

牛首で振り返る
牛首で今登ってきた方を振り返る

牛首で尾根筋に到着し、振り返ると眼下に月山湖が臨まれ、湖に架かる月山大橋も見える。 雲の中には旭岳がある筈という。

牛首から日本海方面を臨む
牛首から日本海方面を臨む

眼下に広い庄内平野が臨まれた。鳥海山は画面中央の雲の中のようだ。

牛首付近から頂上を臨む
牛首付近から頂上を臨む

月山の頂上は急峻な坂の遥か彼方に臨まれて、若いころであれば頂上目指して奮い立つのであろうが、 老骨の筆者はチョット足がすくんだ。

鍛冶小屋跡から姥ヶ岳方面を振り返る
鍛冶小屋跡から姥ヶ岳方面を振り返る

姥ヶ岳や湯殿山方面に伸びる山道は芭蕉が湯殿神社に向った道だ。 あゝこの道を芭蕉も歩いたのだなあと想い、ちょっと感傷に耽った。

鍛冶小屋跡
鍛冶小屋跡

頂上にあと300m位の所に芭蕉が奥の細道で  『谷の傍に鍛冶小屋といふあり』  と述べている 鍛冶小屋跡の石垣と稲荷神社が残っていた。
筆者が不思議に思ったのは、この場所は殆ど月山の頂上近い所で鍛冶小屋があり得たのだろうか?ということです。 もう少し谷間の『霊水』が得られるような所なら兎も角・・・。

月山頂上付近の芭蕉句碑
月山頂上付近の芭蕉句碑

芭蕉が月山頂上で詠んだ句
 雲の峯 幾つ崩れて 月の山
があった。
筆者はこれまでの急坂を体力以上に頑張って登って来たので、ここで左足に痙攣を起こし 歩けなくなってしまった。幸い通りすがりの親切な方に『ツムラ68』という漢方薬を戴いて飲んだので、 5分位で恢復することが出来た。

月山頂上の月山神社
月山頂上の月山神社

三角点のある頂上(1,984m)とちょっとずれた所にある月山神社。頂上小屋は写真右下の屋根の所です。 私達が登った9月28日は既に本宮も山頂小屋も閉鎖されていた。

月山神社本宮入口
月山神社本宮入口

月山八合目より頂上までの山道は国立公園であると共に、出羽三山神社の境内地であり私有地だそうです。 7月1日から9月15日までの間は本宮でお祓いの参詣を受けられ、頂上小屋で宿泊も出来ます。

雲の峯
雲の峯

この日の午前中は快晴でしたが、午後は雲が出てきて見える筈の鳥海山が見えない。 これが芭蕉が『雲の峯 幾つ崩れて 月の山 』と詠んだ雲の峯かなあ?"

暫くは緩やかな木道
暫くは緩やかな木道

頂上よりの下山道はオモワシ山(1828m)に向って緩やかな木道が続きます。 ここを過ぎると『行者返し』の石ごろごろの急坂となります。

行者返しの石の道
行者返しの石の道

木道が石ごろで急坂に変わりきわめて歩きにくい。


行者ヶ原

『行者返し』の急坂に取掛かると眼下に見事な行者ヶ原の湿地帯が広がった。

仏生小屋が見えてきた
仏生小屋が見えてきた

漸く仏生小屋が見えてきた。然し、まだ9合目で8合目までの半分だ。大分足腰が疲れてきたが、 もうひと踏ん張りしなければと自分自身を元気づけた。

仏生小屋
仏生小屋

インターネットの情報によるとこの小屋はお風呂もあって山小屋にしては設備が良いらしい。 小屋の前に毒池があり、幾つかの古びた石碑が立っていたが、何の石碑判らない。

溶岩の原
溶岩の原

二の岳の横を通る地点で溶岩が剝き出ている原野が広がっていた。遠方の山は葉山のようで、 大石田で月山ではないかと思われたあの冠雪の山だ。

溶岩の道ー鍋割?
溶岩の道ー鍋割?

溶岩を敷き詰めた道で至って歩き難い。前方に鳥海山が見えてきた。景色に見とれて歩いていると、 ごろごろ石に躓いて転びそうになる。

弥陀ケ原
弥陀ケ原

最後の下りの無量坂に差し掛かると前方に見事な弥陀ケ原湿原が現れる。前方の剥げている部分は羽黒スキー場か? その先の黒い森は羽黒神社の森かと思いつつ歩く。

御田ヶ原参籠所
御田ヶ原参籠所

湿原の先に月山中ノ宮と遥か前方に鳥海山が見えてきた。この月山縦走の旅は現在の体力以上に頑張って歩いてきたが、 もうここで終わりだと思うと最後になって充実感が溢れてきた。

姥沢ペアリフト下駅から牛首・月山頂上を経て弥陀ケ原への月山縦走ルート地図

地図は拡大・縮小出来ます。ドラッグして移動も出来ます。地形図指定で3D表示も出来ます。
赤線は芭蕉一行が辿ったルートです。 青線は筆者の辿ったルートです。

断面地図

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