筆者の旅の行程

平成25年11月9日(土)

敦賀市内から色ヶ浜を経由して長浜市内までの写真説明

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金前寺
金前寺

天平8年(736年)、越前の僧泰澄が金崎山に草創と伝えられる古刹。何度かの焼失の後、 現本堂は平成元年再建の新しいもの。境内に寛政5年建立の芭蕉鐘塚がある。

金前寺の芭蕉鐘塚
金前寺の芭蕉鐘塚

寛政5年(1793年)建立の芭蕉鐘塚。
 月いづく 鐘は沈める 海のそこ
新田義貞の南朝軍が立て籠もり足利軍に敗れた時の陣鐘を後で引き揚げようとしたが、 逆さに沈んでいて引き揚げられなかった話を聞いて詠んだという。

金ヶ崎宮
金ヶ崎宮

敦賀港を見下ろす小高い山にある金ヶ崎城跡の南西中腹にある後醍醐天皇の皇子恒良親王を祀ってある神社。 明治23年に創建された。

金ヶ崎宮からの眺め
金ヶ崎宮からの眺め

神社の裏手から城址に続く道を花換の小道といい、 そこから敦賀の市街地と港が見える。明治大正時代はウラジオストックの玄関口だったそうだ。

砂もち神事の銅像
砂もち神事の銅像

気比神宮正面の大鳥居から大通りを隔てた向い側に、 土地の男と二人で土石を入れたもっこを担いでいる遊行上人と土を掘っている男の3人の像がある。

気比神宮
気比神宮

越前一の宮として仲哀天皇などを祀っており、古事記や日本書紀にも出てくる古い社で門扉には菊の御紋章が 飾られている。仲哀天皇の父は日本武尊である。

気比神宮境内の芭蕉の銅像
気比神宮境内の芭蕉の銅像

元禄2年8月14日の夜、芭蕉は夜参りにこの神社を訪れた。銅像の台座には芭蕉の句が刻まれている。
 月清し 遊行のもてる 砂の上

芭蕉句碑
芭蕉句碑と芭蕉翁杖跡碑

芭蕉句碑: 気比のみや
なみたしくや 遊行のもてる 砂の露 ばせを
芭蕉翁杖跡碑:
なみたしくや 遊行のもてる砂の露 はせを
月清し 遊行のもてる 砂の上 はせを 

芭蕉翁月五句碑
芭蕉翁月五句碑

荊口句帖『芭蕉翁月一夜十五句』より選ばれた芭蕉が敦賀で詠んだ5句。
 国々の 八景更に 氣比の月
 月清し 遊行のもてる 砂の上
 ふるき名の 角鹿や恋し 秋の月
 月いつく 鐘は沈る 海の底
 名月や 北国日和 定なき

市民文化センターの芭蕉翁月塚
市民文化センターの芭蕉翁月塚

敦賀市桜町の港に面した大通り角の市民文化センター前に芭蕉翁月塚が建っていた。
 国々の 八景更に 気比の月
近江八景などというように美しい景色を愛でる名所は山ほどもあるが、 ここ気比の月もこれに加えなくてはいけない。ハッケイとケヒを掛詞としている。

天屋玄流旧居跡
天屋玄流旧居跡

芭蕉が敦賀に滞在中色ヶ浜等に案内した回船問屋の旧居跡は敦賀市蓬莱町の 細い路地を入った所にある『あみや』と言う旅館の駐車場になっていた。


芭蕉逗留地出雲屋跡
芭蕉逗留地出雲屋跡

芭蕉が敦賀滞在中泊まった旅籠出雲屋は当時の唐仁橋町にあった。 現在は相生町でレストランうめだがある場所でした。

常宮神社
常宮神社

常宮の海岸辺にあり、大宝3年(703年)気比神社の摂社として創建された神宮皇后を祭る神社。 豊臣秀吉が朝鮮出兵に際して戦勝を祈願したと伝えられる。 その関係で秀吉から寄贈された朝鮮鐘が国宝として保存されている。

常宮神社の朝鮮鐘
常宮神社の朝鮮鐘

常宮神社は国宝『朝鮮鐘』が奉納されていることでも有名。 朝鮮の役における大谷吉継(後に敦賀城守になった)の見事な軍監ぶりに秀吉はこの役で持ち帰った「朝鮮鐘」 を吉継の手で慶長二年(1597)常宮神社に奉納させた。

開山堂の芭蕉句碑
開山堂の芭蕉句碑

県道の色ヶ浜入口から狭い道に入るとすぐに本隆寺開山堂がある。 その境内には西行の歌碑と並んで芭蕉の句碑が建っていた。
 寂しさや 須磨にかちたる 濱の秋

西行の歌碑
西行の歌碑

本隆寺開山堂の境内には芭蕉がここを尋ねる因になった西行の歌碑が芭蕉の句碑と並んで建っていた。
 潮染むる ますほの小貝ひろふとて 
  色の濱とは いふにやあるらむ 西行

本隆寺
本隆寺

開山堂から部落の中央に進むと日蓮宗の本隆寺がある。 奥の細道の「種の浜」の項に『浜はわづかなる海士(あま)の小家にて、侘しき法花寺(法華寺)あり。』 とある法花寺がこの本隆寺だ。

本隆寺の芭蕉句碑
本隆寺の芭蕉句碑

芭蕉はこの寺で『茶を飲、酒をあたためて、夕ぐれのさびしさ、感に堪たり』として詠んだ句碑が:
 寂しさや 須磨にかちたる 浜の秋
 波の間や 小貝にまじる 萩の塵
 衣着て 子貝拾わん 色の月

西福寺
西福寺

敦賀市の西方、山内山の麓にある浄土宗の名刹の一つ。堂宇は堂々たる古建築で、 数々の国指定文化財を所蔵している。当寺院には曽良が立ち寄った記録があるが、 芭蕉が訪れたかどうか不明とのこと。

西福寺の書院庭園
西福寺の書院庭園

この書院庭園は国指定の名勝になっているだけあって 大変風情のある庭園でした。堂宇の中の渡り廊下から臨む風景は場所によって趣を変えており、 見事だと言うほかありません。紅葉の頃は最高だそうです。

西村屋孫兵衛茶屋
西村屋孫兵衛茶屋

塩津街道の滋賀県との県境に新道野越えという峠があリ、 そこにある1軒の萱葺の大きな茶屋が西村屋孫兵衛茶屋だ。芭蕉一行が敦賀から大垣に向う折どのルート を通ったかは諸説あるが、塩津街道の新道野越えをしたとすれば、恐らくこの茶屋に立ち寄ったに違いない。

西村本(素龍清書本)の説明会
西村本の説明会

西村家にはおくのほそ道の原本として知られている能筆家の柏木素龍が清書をし、 題簽(だいせん=表題)を芭蕉が「おくのほそ道」と自筆した素龍清書本がある。 今回はそれを見せて戴き、茶屋の主人からその原本が西村家に伝わった経緯などの説明会があった。

長浜の慶雲館
長浜の慶雲館

明治時代の長浜の豪商・浅見又蔵が明治天皇の行在所として建てた迎賓館。 現在は公共の施設として、そのほか観光施設として一般公開されている。

日本最大の芭蕉句碑
日本最大の芭蕉句碑

この慶雲館の庭園には巨木や高さ5mという大灯籠などがある他、日本最大の芭蕉句碑もある。
  蓬莱に きかはや伊勢の 初たより 
新春の景物である蓬莱にそっと耳を寄せてみると、伊勢神宮の清浄な空気が伝わってくるようで、 これが伊勢からの初便りだと思われるよ。(元禄7年江戸での作)

長浜の良畴寺
長浜の良畴寺(琵琶湖の大仏寺)

平安山良畴寺(りょうちゅうじ)は、鎌倉幕府の執権北条時頼が全国を旅する途中に泊まったという記録もある古い臨済宗 の寺院です。時頼から、宿泊したとき大変親切なもてなしを受けたお礼にと、手づくりの阿弥陀三尊を贈られたのが、 お寺の初めだといわれています。

良畴寺の芭蕉句碑
良畴寺の芭蕉句碑

  四方より 花咲き入れて 鳰の海
芭蕉が膳所(滋賀県大津)の芭蕉門人浜田珍夕の住居「洒楽堂」に滞在している折の作と言うことです。 鳰(にほ)はカイツブリのことで、琵琶湖は鳰が沢山飛来するので鳰の海とも言われていました。


良畴寺の住職のお話
良畴寺の住職のお話

住職からお寺の由来に就いてのお話があった。寺名の『畴ちゅう』という字は田圃の畔道のことで、 良い道造りが人の道を正す基本と言う趣旨から付けられたそうです。 またこのお寺と芭蕉との関連に就いてのお話しもあった。 右の写真の干瓢の実に入った芭蕉翁木像はまさに江戸時代にこの地方での蕉門俳諧の隆盛の証である という住職のお話でした。
(にほ)の里 火鉢囲みし 句会かな 長兵衛

良畴寺の芭蕉木像
良畴寺の芭蕉木像

かつてこのお寺で盛んに句会が催されていたのではないかといいます。 その中心人物は、松菓五蔭(しょうかごいん)という人物で、芭蕉の門弟・森川許六(彦根出身)の孫弟子になるそうです。 彼は、宮川藩の代官で、その代官屋敷がお寺の東側に隣接して建っていたというのです。 そうした関係で、良畴寺で、度々大がかりな句会が催され、そうした折りに、この木像を飾り、 芭蕉を偲んだのだろうというお話でした。

筆者の敦賀市内から長浜市内までのまでの見学ルート地図

地図は拡大・縮小出来ます。ドラッグして移動も出来ます。地形図指定で3D表示も出来ます。 赤アイコンは芭蕉の宿泊地です。青線は筆者の辿ったルートです。

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