筆者の旅の行程

平成25年11月8日(金)

米沢駅から上越市武生を経由して敦賀市内までの写真説明

写真をクリックすると、拡大写真が現れ、 「next」ボタンでスライド・ショウにして見ることも出来ます。

芳春寺
芳春寺

越前市で唯一の臨済宗大徳寺派の寺で、すぐそばを川が流れ、 古くはこの川で身を清めてからお参りをしたことから、河濯山と呼ばています。

芳春寺芭蕉色紙塚
芳春寺芭蕉色紙塚

境内には芭蕉の色紙塚があり、句碑としては県内最古のもの。
 古池や 蛙とびこむ 水の音


ふるさと散歩道
ふるさと散歩道

越前市武生中央公園と紫式部公園を結ぶ約1,200メートルのふるさとを偲ぶ遊歩道で、 北側から「ミニ庭園ゾーン」、「歴史と文化ゾーン」、「紫式部ゾーン」があります。 「ミニ庭園ゾーン」には比那ヶ岳を詠んだ芭蕉句碑があり、「紫式部ゾーン」には紫式部公園がある。

芭蕉句碑
ミニ庭園ゾーンの芭蕉句碑

中秋名月の8月15日に敦賀で詠んだ句。
 あすの月 雨占なはん ひなが岳
明日の晩は、雨になるのか、月は見えるのか。 比那が嶽の晴れ具合でそれを予想してみよう。なにしろ、「北国日和定めなき」で北陸地方の秋の天気 の変りやすさは油断ならないから。

紫式部銅像
紫式部銅像

996年(長徳2年)、紫式部の父である藤原為時が越前守に任ぜられ、 紫式部もこの越前国府の地(今の武生)に1年半ほど過ごしたのでこの地に紫式部公園が作られている。

紫式部公園から臨む比那ヶ嶽
紫式部公園から臨む比那ヶ嶽

比那ヶ嶽は越前市武生の日野山のことで、794mの山であるが福井平野から眺める山容が秀麗な景観を見せることから、 越前富士とも呼ばれている。奥の細道でも
漸白根が嶽かくれて、比那が嵩あらはる
と記されている。

湯尾峠への登り
湯尾峠への登り

元禄2年8月13日(陽暦9月26日) 芭蕉と等栽は福井と敦賀の間の距離からするとこの湯尾峠を越え、 今庄へ降りて一泊したと推察されている。 私達は高速道路を今庄ICで降りてから芭蕉の通ったと反対側から湯尾峠に登った。

湯尾峠の芭蕉句碑
湯尾峠の芭蕉句碑

月に名を 包みかねてや いもの神
『ここは疱瘡の神という あまり人に好かれな い名前だけに普段はひっそりとしているのであろうが、 今宵は八月十五夜の月、別名「疱瘡又は芋の月」というくらいだから、 その名前も自然と表に出て隠しきれなくなるのであろう。』

今庄部落への下り
今庄部落への下り

今庄宿は江戸期に南条山地の北陸道の難所にある重要な宿場町で、 今でも本陣跡や各種問屋や旅籠跡が残る昔の街道の面影が残っていた。 残念ながら道幅が狭くバスが止めることが出来なく写真が撮れなかった。

今庄総合事務所前の芭蕉句碑
今庄総合事務所前の芭蕉句碑

   義仲の 寝覚めの山か 月悲し
の句碑が今庄総合事務所前に建っていた。
これは写真背後の山にある燧ヶ城で木曽義仲軍の敗北を悲しんで詠んだ句で、 倶利伽羅峠にもこの句碑が建てられていた。

木の芽峠への登り
木の芽峠への登り

標高628m木の芽峠へは今庄365スキー場の先の細い山道を駐車場までバスで登り、 その後徒歩で登らなければならない。

言奈地蔵
言奈地蔵(ゆうなじぞう)

木の芽峠の少し手前にある弘法大師の作ったと言われている石仏を祀った地蔵尊で、 旅人を殺し、後にその罪深さを悟って殺した旅人の息子に自ら仇討された馬子の伝説がある。

峠に建つ道元禅師の供養塔
峠に建つ道元禅師の供養塔

永平寺の開祖道元禅師が建長5年に病気のため京都帰られる途中この峠で弟子の徹通と決別した碑がこの峠に建っている。 芭蕉はこの木の芽峠で
   中山や 越路も月は また命
(芭蕉翁月一夜十五句)の句を詠んでいる。

木の芽峠の茶屋
木の芽峠の茶屋

木の芽峠の茶屋は通行人の休息所だけでなく通行人の監視や吟味のための福井藩の『お山役』を兼ねていたという。 茶屋の主の前川家は平家の末裔であり、織田信長と同系であったことから信長の朝倉攻めの秀吉に会い、 その折に与えられた茶釜が今でも保存されている。

筆者の越前市武生から敦賀までの見学ルート地図

地図は拡大・縮小出来ます。ドラッグして移動も出来ます。地形図指定で3D表示も出来ます。 赤アイコンは芭蕉の宿泊地です。青線は筆者の辿ったルートです。

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