筆者の旅の行程

平成25年10月19日(土)

金沢を発って山中温泉までの写真説明

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小松天満宮
小松天満宮

明暦3年、3代城主前田利常によって菅原道真を祭神として小松城の東北側梯(かけはし)川の畔に小松城の鎮護のために創建された。

小松天満宮の芭蕉句碑
小松天満宮の芭蕉句碑

小松天満宮の山門の右側にこの芭蕉句碑が建てられていた。
 あかあかと 日は難面(つれな) くも あきの風

兎橋神社
兎橋神社(うはしじんじゃ)

平安時代の『延喜式神名帳』(九二七年)に「加賀国能美郡八座 莵橋神社」として登載されている古社。 芭蕉は7月27日(陽暦9月10日)は天気が良かったので、 諏訪神社(菟橋神社)の祭りを見物してから小松を出立したと 曽良の随行日記にある。

兎橋神社の入口右側にある芭蕉句碑
兎橋神社の入口にある芭蕉句碑

小松の山王社(本折日吉神社)の神主宅で開かれた句会に出席しして詠んだ句。
 しほらしき 名や小松ふく 萩すゝき
小松とはかわいい名前だ。その浜辺の小松にいまは秋の風が吹いて萩やススキの穂波をなびかせていることだ。土地への挨拶の句。

兎橋神社の向側ある芭蕉句碑
兎橋神社の向側の芭蕉句碑
(背後に漆原講師が写っている)

『奥の細道』の旅の途次、小松大川町の歓生亭で詠んだ句であるという(真蹟懐紙)。
 濡れて行くや 人もをかしき 雨の萩
雨に濡れる萩の花もまた風情のあるもの。その花を愛でんと秋雨に濡れながら眺めている人の姿も風情のあるものだ。

小松の寺町の町並み
小松の寺町の町並み

 傘の列 小径おかしき 秋の雨 長兵衛
小松の寺町を傘さして歩くのもまた風情のあるもの。 この小路の両側には寺が多く、歩道の幅が広く、主役は車より歩行者優先で歩きやすい。 その道を傘をさして秋雨の中を歩くのは乙なものだ。

建聖寺
建聖寺

曽良の随行日記によると小松には一泊の予定であったが、地元俳人達の要請を北支が受け入れて 立松寺に更に2泊したとあるが、この立松寺は今の建聖寺であるという。 門の左側に『芭蕉 留杖の地』の石碑が建っている。

芭蕉の木像
芭蕉の木像

建聖寺には北枝が彫ったとされる芭蕉の木像が所蔵されている。
また
 しほらしき 名や小松ふく 萩すゝき
の芭蕉句碑も境内に建っている 。

本折日吉神社
本折日吉神社

曽良の随行日記によると元禄2年7月25日(陽暦9月8日) 多太神社に参拝したあと近くの山王社(本折日吉神社) の神主宅で開かれた四十四(よよし)の俳諧興行の句会に参加したとある。

芭蕉の句碑
芭蕉の句碑

山王社の神官宅で開かれた四十四(よよし)の俳諧興行句会で芭蕉が詠んだ発句の句碑が境内に建てられている。
 しほらしき 名や小松ふく 萩すゝき
四十四(世吉とも書く)とは連歌百韻の一部を省略して四十四句にしたもの。

多太神社
多太神社(ただじんじゃ)

平安時代の『延喜式神名帳』に記載されている古社で、木曽義仲将軍が齋藤別当實盛公の兜・鎧の大袖などを奉納したことで有名。
立話しする人物は多太神社の宮司と漆原講師のお二人。

斉藤実盛の甲
斉藤実盛の甲

芭蕉がこの冑を拝観した折に詠んだ句は木曽義仲が討死した実盛の首を検分した折の『あな無慚、実盛にて候』 から来ているという。
 むざんやな 甲の下の きりぎりす
きりぎりすは今のこおろぎで、この句は栄枯盛衰の情を哀切に詠った名句と言われている。

那谷寺の本殿
那谷寺の本殿

真言宗の別格本山で、平安時代中期に花山法皇が行幸されたとき、法皇は「私が求めている観音霊場三十三カ所 はすべてこの山にある」と言われ、西国三十三カ所の第1番・那智山の「那」と、第33番・谷汲山の「谷」を とって「那谷寺」と改めたことに由来します。

那谷寺の芭蕉句碑
那谷寺の芭蕉句碑

元禄2年8月5日芭蕉は山中温泉から小松へ向かう途上、那谷寺を訪ずれ、 奥の細道に下の句を記しています。尚、奥の細道では松の名勝地となっていますが、 現在、紅葉の名勝として変遷しつつあるようです。
  石山の 石より白し 秋の風


全昌寺
全昌寺

大聖寺城主山口玄蕃頭宗永公の菩提寺で曹洞宗の寺です。京都の仏工山本茂祐の作の五百羅漢の所蔵で有名。 奥の細道の途上芭蕉と曽良が1日違いで泊まったと伝えられている。

全昌寺境内のの芭蕉と曽良の句碑
全昌寺境内のの芭蕉と曽良の句碑

曽良の句碑(右側端):
よもすがら 秋風聞くや うらの山 曽良
芭蕉の句碑(左側端):
庭履きて 出でばや寺に 散る柳 芭蕉

全昌寺の五百羅漢
全昌寺の五百羅漢

京都の仏工山本茂祐の作の釈迦三尊、四天王、十大弟子及び517体の五百羅漢とそれらの仕様書や寄進者等を 記録した台帳までも残っていると言う。

全昌寺の芭蕉が泊まった部屋
全昌寺の芭蕉が泊まった部屋

芭蕉は元禄2年8月5日一足先に山中温泉を発ち那谷寺経由で小松に向い、曽良はその日に当寺に泊まっている。 その翌日に芭蕉がこの寺に着いて同じ部屋に泊まっていると言う。

汐越の松
汐越の松

芭蕉一行は吉崎の北潟湖畔から舟で西行の歌枕の地『汐越の松』を訪れたが、 私達はバスで芦原ゴルフクラブを訪れ、ゴルフ場の女性に案内されて汐越の松を見学した。

既に雪を戴いた白山屋
既に雪を戴いた白山

芭蕉は山中温泉から小松に戻る途中に前方に白根ヶ嶽(白山)を見して歩いたという。 その白山がこの芦原ゴルフクラブからはっきり臨まれた。

医王寺
医王寺

天平年間、行基が自ら薬師如来の尊像を刻み開基したと伝えられる真言宗のお寺で、 その後兵火に焼かれ、温泉と共に荒廃したが、建久年間(1190~1198年)に長谷部信連が温泉を再発見、 この寺を再興した。曽良の随行日記に『二十八日快晴、夕方薬師堂その他町辺を見る』とある薬師堂がこの寺のこと。 また山中節の一節に「東や松山、西や薬師」とあるのもこの寺のことと言う。

山中温泉河鹿荘ホテル・ロイヤル
山中温泉河鹿荘ホテル・ロイヤル

このホテルはダイワ・ロイヤル・ホテルのグループの一員で中々清潔で気持ち良いホテルでした。 ロケーションも山中温泉のほゞ中心に位置し、 大聖寺川の鶴仙渓の崖の上に建っており眺めも抜群です。




金沢から小松を経て山中温泉までの見学ルート地図

地図は拡大・縮小出来ます。ドラッグして移動も出来ます。地形図指定で3D表示も出来ます。

赤アイコンは芭蕉の宿泊地です。 青線は筆者の辿ったルートです。

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