芭蕉の旅の行程

芭蕉のイラスト





元禄2年5月28日~6月2日
    (新暦7月14日~18日)

 最上川のらんと、大石田と云所に日和を待つ。 ここに古き誹諧の種こぼれて、忘れぬ花のむかしをしたひ、芦角一声(ろかくいっせい )の心をやはらげ、此道にさぐり(あし)して、 新古ふた道にふみまよふといへども、みちしるべする人しなければとわりなき一巻残しぬ。このたびの風流ここに至れり。

最上川を舟に乗って下ろうと、大石田というところで天気のよくなるのを待つ。 かつて、ここに古き俳諧の文化が伝えられ、それが実って定着し、盛んに詠まれた頃を忘れずに懐かしがっている。 芦笛の響きを楽しむようなことしか知らない田舎の人の心を、俳諧が慰めてくれるので、これから先の進路について決め兼ねて、 旧態依然とした古風俳諧ながらこれを継承していくか、それとも新風の蕉風俳諧を会得するか、迷っているのだが、 舵取りしてくれる人がいないので是非に、というので、止むを得ず歌仙一巻を巻いて残した。 「風流の初」の田植え唄で幕をあけた「おくのほそ道」の風流体感は、 この大石田に蕉風俳諧の種をこぼすという形で結実したことである。

元禄2年6月3日(新暦7月19日)

 最上川はみちのくより出て、山形を水上とす。ごてん・はやぶさなど云おそろしき難所有。 板敷山の北を流て、果は酒田の海に入。左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。これに稲つみたるをや、いな船といふならし。 白糸の瀧は青葉の隙隙(ひまひま) に落て仙人堂岸に臨みて立つ。 水みなぎつて舟あやうし。
   五月雨を あつめて早し  最上川

最上川は、みちのくから流れ出て、山形あたりを水上(みなかみ)とし、 途中、碁点、隼などという恐ろしい難所があり、 この先で、板敷山の北を流れ、果ては酒田の海に入る。 両岸から山が迫り、川を覆うようであり、そうした中、茂みの中に船を下す。 この船に稲を積んだのを、稲船というのだろう。 白糸の滝は、青葉の隙間から流れ落ちるのが見え、この上流にあるある仙人堂は、川に面して建っている。 水流がみちあふれ、舟が危険である。 数々の山川から五月雨を集めてきた最上川は、ここに至り、更に両岸の山から直接水を集めて満ち満ちて、 滑るような勢いで流れていく。

五月雨をあつめて早し最上川
  降り続いた五月雨を全部集めてすごい流れだ、最上
  川は

 六月三日、羽黒山に登る。図司(ずし) 左吉と云者を尋て、別当代会覚阿闍利(えかくあじゃり)に謁す。 南谷の別院に(やど)りして憐愍( れんみん)の情こまやかにあるじせらる。
 四日、本坊にをゐて誹諧興行。
   有難や 雪をかほらす 南谷 
 五日、権現に詣づ。
当山開闢能除大師(かいびゃくのうじょだいし) はいづれの代の人と云事をしらず。延喜式に「羽州里山の神社」と有り。書写、「黒」の字を「里山」となせる にや。「羽州黒山」を中略して「羽黒山」と云にや。「出羽」といへるは、「鳥の毛羽を此国の貢に献る」と風土記に侍 とやらん。月山・湯殿を合せて三山とす。当寺武江東叡に属して天台止観の月明らかに、円頓融通 (ゑんとんゆずう)(のり) の灯かゝげそひて、僧坊棟をならべ、修験行法を励し、霊山霊地の験効、人(たふ )とび且恐る。繁栄(とこしなべ)にして、 めで度御山と()つつべし。

六月三日、羽黒山に登る。
門前集落の手向(とうげ)に住む図司左吉という者を訪ね、その案内で羽黒山の別当代会覚阿闍梨にお目にかかる。 南谷の別院に宿泊したが、阿闍梨は、思いやりのある方で、懇(ねんご)ろにもてなしてくださった。
四日、本坊において俳諧を興行する。
この霊山の谷あいから、雪の香の南風が吹き寄せています。旅に疲労した我が身にとっては、この上なく尊く有難いことです。

  有りがたや 雪をかをらす 南谷
   滅多になくありがたいことだなあ。 
   雪を思わせるように冷たい風が吹き寄せてくれる
   ことだよ、南谷は。

五日、羽黒権現に参詣する。羽黒山を開山した能除大師は、どのような時代の人かは知らない。 延喜式に「羽州里山の神社」とある。書きうつすときに、「黒」の字を「里山」としてしまったのだろうか。また、 「羽州黒山」を中略して「羽黒山」と言うのだろうか。この国を出羽と言うのは、鳥の羽を国の貢物として朝廷に献上したから、 と風土記に書いてあるということである。羽黒山に、月山と湯殿山を合わせて三山と称している。 この寺は、武蔵国江戸の東叡山に属して、天台宗の止観の教えが月の光のように行き渡り、円頓融通の教えも合わせ灯って、 僧坊が棟を並べて建つほどに隆盛している。修験者は修行に励んでいて、人は、こうした霊山霊地のごりやくを貴びながらも、 そのあらたかさに恐れを抱いている。この繁栄はいつまでも続くと思われ、実に立派なお山と言うことができるだろう。

 

筆者の旅の行程

私の顔





平成25年6月12日(水)

芭蕉の足跡を辿って長兵衛が詠める

  ゆったりと 空梅雨流す 最上川

 

  慕い来て 夏草に残す 歌人たち

 

  月山の 残雪霞む 大石田

 

  梅雨まだき 繁栄今は 夢のあと

 

  立谷沢 のぼれば迫る 月の山

山寺から大石田を経て羽黒山までの写真説明

写真をクリックすると、拡大写真が現れ、「next」ボタンでスライド・ショウにして見ることも出来ます。

大石田の乗船寺
大石田の乗船寺

このお寺には珍しいお釈迦様の涅槃像がご本尊として祀られており、境内には斉藤茂吉のお墓がある。 裏庭には斉藤茂吉の歌碑と正岡子規の句碑がある。


斉藤茂吉の故郷は同じ山形の金瓶村ですが、戦後一時期この大石田に疎開していました。 恐らく当所が芭蕉の歌枕の地であったことも関係している思われます。

釈迦涅槃像
ご本尊の釈迦涅槃像

このお寺のご本尊は大変珍しく釈迦涅槃像で室町期のものとみられている。

斉藤茂吉の墓
斉藤茂吉の墓

茂吉の墓は東京青山と上山金瓶と当所の3ヶ所に分骨されているということです。

斉藤茂吉の歌碑
斉藤茂吉の歌碑:

  最上川 逆白波の たつまでに ふぶくゆふべと なりにけるかも
                茂吉

大石田には、歴史的背景に松尾芭蕉、正岡子規、斎藤茂吉らの文学的香りに満ちている。 特に山形が生んだ歌聖 斎藤茂吉の面影が色濃く残り、町内のあちこちに歌碑などがあるそうです。

正岡子規の句碑
正岡子規の句碑

ずんずんと 夏を流すや 最上川 
                    子規


正岡子規(1867~1902)は、明治26年(1893年)、7月19日から8月20日までの約1ヶ月間、芭蕉の足跡を訪ねて東北地方を旅し、 その紀行文が「はて知らずの記」として発表されています

川水のお墓
高桑川水のお墓

大石田の庄屋の高桑川水は尾花沢の句会にも参加していて既に芭蕉と面識があり、一栄宅の句会にも参加していた。

大石田乗船所跡
大石田乗船所跡

大石田は最上川水運の中継地として江戸期には大変栄えていた。最上川の流はこの辺りでは急流でなく、 ゆったりした流れであった。

高野一栄亭跡
高野一栄亭跡

芭蕉一行はここで3泊して「五月雨をあつめて涼し」の句を詠んだ。。
 五月雨を あつめて涼し 最上川

西光寺の仁王門
西光寺の山門

室町時代に創建されたと伝えられるお寺で、仁王門は、慶応3年(1867年)の建立。 寺の境内に芭蕉の真筆を模した「五月雨をあつめて涼し」の句碑がある。

芭蕉の真蹟を模した句碑
芭蕉の真蹟を模した句碑の代碑

明和年間に地元の俳人土屋只狂が大石田から離れていた芭蕉真蹟さみだれ歌仙を購入し再び大石田の地に戻し、 真筆を模刻して「さみ堂礼遠あつめてすゝしもかミ川」の句碑を建てた。原碑は覆堂に納められている。

羽州街道の猿羽根峠の地蔵尊
羽州街道の猿羽根峠の地蔵尊

この峠は江戸時代に新庄戸沢藩と天領山形藩との藩境であり、この先に一里塚が往時の姿を留めている。 斉藤茂吉も奥の細道を偲んでこの峠を訪れている案内板が立っていた。大変眺めが良い峠です。

猿羽根峠の一里塚
猿羽根峠の一里塚

羽州街道とは、江戸時代に整備された脇往還の1つで、江戸から桑折宿で奥州街道から分かれ、 七ヶ宿(宮城県七ヶ宿町)を経て、奥州街道と平行して日本海側の山形県・秋田県を通り、 油川宿(青森県青森市)に至る街道である。現在の国道13号です。

柳の清水
柳の清水

芭蕉は、新庄の風流亭で開かれた連句の会で「水の奥氷室尋る柳哉」の句を詠んでいる。 これは、芭蕉が、道中、この清水で飲んだ冷水を念頭に置いたものと見られる。 新庄到着の旧暦6月1日は、昔、氷室に貯蔵した氷を食し、暑気払いや夏の厄除けをした「氷室の節句(節会)」に当っている。


渋谷風流亭跡
渋谷風流亭跡

繁華街の金物屋の前に建てられている渋谷風流亭跡には唯の石柱だけが建てられているのは何とも味気ない次第だ。



芭蕉の句碑
芭蕉の句碑

新庄市の市民プラザの前庭に建てられている芭蕉の句碑:翌日渋谷盛信亭で開かれた歌仙に収められている句
    風の香も南に近し最上川



本合海の芭蕉乗船場跡
本合海の芭蕉乗船場跡

梅雨の切れ間となった元禄2年(1689年)6月3日(新暦7月19日)、芭蕉一行は新庄に歌仙と「三つ物」の置土産をし、 本合海に向けて1里半の道のりを歩き、現在「芭蕉広場」となっている本合海の河岸から最上川の舟に乗った。

川辺から臨む芭蕉広場
川辺から臨む芭蕉広場

最上川は大石田とは異なってこの辺りで大きく蛇行して大石田の辺りと異なって水の流れは急激になっていた。そこで芭蕉は大石田で詠んだくを推敲して;
 五月雨を あつめて早し 最上川



講師の鈴木先生
本合海の川辺で講師の鈴木先生

本合海の芭蕉広場でめいめい記念撮影などをした後、最上川の川面に近い岸辺に降りて行った。人物は今回の奥の細道のツアー の講師の鈴木先生です。

清川の芭蕉下船の地
清川の芭蕉下船の地

芭蕉一行は本合海で最上川下りの舟に乗り、清川で船を降りた。その後、狩川、三ッ沢、添川を経て出羽三山の門前集落・手向 (とうげ)に向った。私たちはそのルートと異なる立谷沢川を溯るルートで今夜の宿の休暇村羽黒に向った。

休暇村羽黒
休暇村羽黒

休暇村羽黒は羽黒山スキー場に隣接した山間の静かな谷間にあった。 道の奥には月山ビジター・センターがあり月山の登山口でした。

休暇村の部屋の窓から臨む月山
休暇村の部屋の窓から臨む月山

まだ残雪の山肌を見せ、山開きは半月先の7月1日という事でした。


月山登山口
月山登山口

山開きは半月先の7月1日という事で、4合目から先は通行止めになっていました。

休暇村での夕食の選択
休暇村での夕食の選択

山形特有の山菜の食材が美味しかった。

   

山寺から大石田を経て羽黒山へのルート地図

地図は拡大・縮小出来ます。ドラッグして移動も出来ます。地形図指定で3D表示も出来ます。

赤線は芭蕉一行が辿ったルートです。青線は筆者の辿ったルート。

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