曽良の随行日記によると2人は旧歴5月9日日(陽暦6月25日)午の刻(正午頃)、松島の雄島の磯に着き、雄島の高僧の苦行の跡を訪ね、松島一帯の絶景を見た。 その夜は瑞巌寺総門近くの久之助の2階屋の宿に泊まったが、興奮のあまり句を詠むことも寝ることも出来なかった。何故かあこがれた松島にはこの一泊しかせずに、翌5月10日には石巻へ旅立っている。

松島湾

松島湾の絶景 筆者が泊まったホテル大観荘の部屋から俯瞰する

松島や 鶴に身をかれ ほととぎす  曽良

芭蕉は余りの感動の為松島で一句も詠むことが出来なかった。

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芭蕉の奥の細道:5月9日の旅

 日既に午に近し。船をかりて松島にわたる。その間二里余り、雄島の磯につく。

 (そもそも)ことふりたれど、松島は扶桑(ふそう) 第一の好風にして、およそ洞庭・西湖(どうてい せいこ) を恥じず。東南より海に入れて、江の中三里、浙江(せっこう)(うしお)をたたふ。島々の数を尽くして、 (そばだ)つものは天を指し、ふすものは波に匍匐(はらば)ふ。あるは二重にかさなり三重に畳みて、 左にわかれ右につらなる。負える有抱けるあり、児孫(じそん)愛するがごとし。松の緑こまやかに、枝葉潮風に吹きたわめて屈曲おのづからためたるがごとし。 その気色窅然(けしき ようぜん)として美人の(かんばせ)(よそお )ふ。ちはやぶる神のむかし、大山つみのなせるわざにや。造化(ぞうか)の天工、いづれの人が筆をふるひ、詞を尽くさむ。

 雄島(おじま)が磯は地つづきて海に出でたる島なり。雲居禅師(うんごぜんじ )の別室の跡、座禅石などあり。はた松の木陰に世をいとふ人もまれまれ見え侍りて、落穂・松笠などうちけぶりたる草の庵(しず) かに住みなし、いかなる人と知られずながら、先づなつかしく立ち寄るほどに、月海にうつりて、昼のながめまたあらたむ。江上に帰りて宿を求むれば、窓をひらき二階を作りて、風雲の中に旅寝するこそ、あやしき まで妙なる心地はsらるれ。

    松島や 鶴に身をかれ 
           ほととぎす  曽良

  予は口をとぢて眠らんとしていねられず。旧庵をわかるる時、素堂松島の詩あり。原安適(はらあんてき) 松がうらましの和歌を贈らる。袋を解きてこよいの友とす。かつ、杉風(さんぷう)濁子(じょくし)発句(ほっく)あり。

 十一日、瑞巌寺に詣づ。当時三十二世の昔、真壁平四郎出家して、入唐帰朝の後開山す。その後に 雲居禅師(うんごぜんじ)の徳化によりて七堂(いらか) 改まりて、金壁・荘厳光を輝かし、仏土成就の大伽藍とはなれりける。かの見物聖の寺はいずくにやとしたはる。

 5月9日昼ごろ、芭蕉一行は松島の雄島の浜に着いた。ここ松島はこの奥の細道の旅の目的の一つだ。 その風景は中国の有名な洞庭・西湖におとらず、聞きしに勝る素晴らしいものであった。夜の眺めも見事なもので、 宿に泊まっても感動が収まらず、曽良は、松島よ、ここでは鶴がふさわしい風情なのだから、今鳴いているほととぎすよ、 鶴に姿を変えてくれ!!と詠んだが、芭蕉は一句も詠むことも出来ず、寝付くことも出来なかった。その代り、 松島に就いての記述は漢文調で対句を交えた格調高い文に仕上げた。

 

 奥の細道では芭蕉は 5月11日に瑞巌寺に参詣したと述べているが、 曽良の随行日記によると5月10日に松島に着いたその日のうちに瑞巌寺にお参りして、翌5月10日には早くも石巻に出発しています。 これは松島から受けた感動を強調するために松島の記述を瑞巌寺の記述から独立させようという芭蕉の文学的創作と思われています。

 

 

芭蕉の奥の細道:5月10日の旅

十二日、平泉と心ざし・・中略・・終に道をふみたがえて、石巻という湊に出づ。「こがね花咲く」とよみ奉りたる金花山海上に見わたsh、数百の廻船入江につどひ、人家地をあらそひて、竃の煙立つづけたり。

 

筆者の第九回目のツアーの行程:
平成24年6月6日(水)

  • 06:00 ホテル大観荘で起床
        何だか雲行きが悪くなりそうで心配だ 
  • 07:00 バイキングの朝食 少々食べ過ぎ
  • 08:30 バスでホテルを出発
  • 08:40 松島海岸五大堂の駐車場でバスを降りる
  • 08:45 五大堂見学。
        幸、津波の被害は受けなかったそうだ。
        そこから歩いて瑞巌寺に向う。
  • 09:00 瑞巌寺の左側の参道にある洞窟群見学。
        天台宗で開基した寺院が鎌倉幕府の圧力
        で禅宗に改宗したために、両宗派の修行
        僧の洞窟があった。
  • 09:10 瑞巌寺庫裡と大書院の特別公開で見学。
        伊達藩の権勢と財力が忍ばれた
  • 09:35 伊達正宗公の正室陽徳院の墓堂見学。
  • 09:45 瑞巌寺宝物殿を見学。     
  • 10:15 芭蕉の句碑見学(参道突き当り左側)
       抑 ことふりたれど、
        松島は扶桑第一の好風
        にして ・・・・
  • 10:20 円通院に入園し庭園観賞 
  • 11:20 松島海岸のかまぼこ屋さんで昼食
  • 12:20 金星の太陽面の横断天体ショウを観察。
        巧く写真は撮れなかったが、ツアー参加
        者一同は観測フィルターを通してこの
        世紀のショウを楽しんだ。
  • 12:30 駐車場をバスで出発、石巻に向かう。
  • 13:15 石巻の住吉公園に到着。
        旧北上川河畔の歌枕の地が津波で無残な
        被害を受けているのをまざまざと見る。
  • 13:45 石巻の日和山公園に到着。
        芭蕉が見下ろした繁栄していた町はここ
        でも津波によって無残に痛めつけられて
        いた。
  • 14:25 芭蕉石巻の宿泊の地の石碑見学。
        どうやら現在の繁華街は津波の被害を
        受けていないように見受けられた。
  • 15:20 西行戻しの松公園到着。
        雲行きが怪しくなったので、急いでこの
        場を立ち去る”西行の戻し松”であった。
      西行のもどり松
      通り雨 急ぎ立ち去る 戻し松
                      長兵衛

  • 15:40 双観山展望台到着。
        空模様が突然荒れだし、急いでバスに逃
        げ込んだ。下の写真は雨にむせぶ松島湾
      双観山展望台
  • 16:10 ホテル大観荘に帰着。
  • 17:00 入浴。
  • 18:00 夕食。
  • 22:00 就寝。

芭蕉の足跡を訪ねて長兵衛が詠む:

  松島や 五月雨(さみだれ)
        待つ かすみかな

  眼前に 広がる湾と 松みどり

  石斛(せっこく)は 大木高く 咲きほこり

  瑞巌寺 (みやび)の世界 黒き杉

  図らずも 松島で見る 天体ショウ

  天体ショウ 松島で見る 初夏の雲

  入相の 鐘の音かすか 松の森

  通り雨 あがりて光る 松の海

  新緑の 田園の先に 海嘯禍(かいしょうか)

  日和山(ひよりやま)  翁かなしむ がれき港

  通り雨 急ぎ立ち去る 戻り松

 

第九回目のツアーの2日目:
松島から塩釜石巻に行くルート地図

五大堂への橋五大堂へ渡る赤い橋と五大堂

大同2年(807)坂上田村麻呂が東征のとき、毘沙門堂を建立し、天長5年(828)慈覚大師円仁が延福寺(現在の瑞巌寺)を開基の際、「大聖不動明王」を中心に、「東方降三世」、「西方大威徳」、 「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになった。

五大堂五大堂の建物

現在の建物は、 伊達政宗が慶長9年(1604)に創建したもので、桃山式建築手法の粋をつくして完工したものです。堂四面の蟇股にはその方位に対して十二支の彫刻を配してある。


山門から参道へ瑞巌寺総門とそれに続く参道

本堂へと続く参道は、両脇に鬱蒼たる杉木立が続く。扁額桑海禅林は扶桑と呼ばれる日本の、海辺近くに建つ禅の寺という意味。当山105世天嶺性空の最晩年の筆による。

修行僧の洞窟修行僧の洞窟

参道右側の崖際には修行僧が生活した場所、苔むした洞窟、石碑、石塔、石像郡があり、静寂かつ厳粛な雰囲気がある。

瑞巌寺見学場入口瑞巌寺見学所入口

平成21年9月~平成28年3月までは寺院の大修理期間中で国宝の本堂、中門、御成門は公開されていませんでした。今回は国宝の庫裡、大書林書院、及び宝華殿が特別公開されていて見学することが」できた。但し、内部の写真撮影は禁止。


改修中の本堂改修中の国宝の本堂

書院造りで入母屋造本瓦葺の本堂は、三方に上縁、下縁を廻らし、室中孔雀の間、仏間、上段の間、上々段の間など10室の部屋で構成されている。正面の幅は39メートル、奥行き25.2メートルです。京都・根来の大工衆が技を競ったそうです。


瑞巌寺御成りの間梅竹図 牡丹図 花木図の展示写真

本堂の上段の間(藩主御成りの間)にある長谷川等胤筆の壁画の展示写真。長谷川等胤は幕府の御用も勤めた画師で、伊達家が行った一連の大事業中、瑞巌寺だけの彩画の為に招請されたという。

オーキッド石斛日本蘭石斛

本堂の前面にある杉の老大木の20mの高さに咲くらんの花石斛(せっこく)は松島の島々に自生していた日本蘭の一種で松島の町花で天然記念物なっている。花期は5月下旬から6月初旬であるという。

宝華殿宝華殿

瑞巌寺の右奥の裏山にある宝華殿は伊達正宗公の正室であった陽徳院の墓堂で、万治3年(1660年)孫の綱宗によって造営され、平成18年に3年がかりで豪華絢爛な姿に復元された



芭蕉の石碑芭蕉の句碑

瑞巌寺参道突き当りの左に奥の細道の松島の段が刻まれた句碑がある(中央)。
抑ことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、凡洞庭・西湖を恥ず ・・・・。

 

圓通寺の山門円通院の総門で「白華峰」の額を掲げている

円通寺は瑞巌寺に隣接する臨済宗妙心寺派の寺院で、伊達正宗公の孫の光宗の菩提寺で松島の名庭園として名高い。

伊達藩家系 伊達藩の家系図

圓通寺の境内で講師の大橋さんから瑞巌寺と円通院に縁りのある伊達藩の家系の説明があった。

三慧殿内の光宗の宮殿型厨子

正宗の孫の光宗は文武に優れていたために徳川幕府にとって恐るべき逸材であったために、江戸城内で毒殺されたのではないかという説もある。三慧殿は重要文化財。

円通院の庭園円通院の庭園

この庭園は松島の名庭園の一つで、特に秋の紅葉の頃が素晴らしいという。。





金星の太陽面横断天体show金星の太陽面横断の天体ショウ

松島海岸で昼食が終わった後、用意して来た太陽観測フィルターを通して金星の太陽面横断の天体ショウ を楽しんだ。肉眼では金星の小さい黒点を見ることが出来たが、残念ながら持参のコンパクト・デジカメでは十分大きく拡大して撮影することが出来なかった。

石巻の住吉公園石巻の住吉公園の旧北上川河畔の無残な姿

旧北上川川岸にある住吉公園は石巻の地名の由来となった「巻石」や歌枕や義経伝説で知られる「袖の渡り」があるところだが、我々が訪れた折には平成23年3月11日の津波の無残な爪痕が残っていた。

日和山公園から海を俯瞰する石巻の日和山公園からの旧北上川河口を俯瞰する

芭蕉が奥の細道で数百の廻船入江につどひ、人家地をあらそひて、竃の煙たちつづけたりと石巻の町を見渡したのはこの高台であったようだ。然し、今は津波の傷跡が残る無残な光景であった。

日和山公園の芭蕉と曽良の銅像日和山公園の芭蕉と曽良の銅像

曽良が芭蕉の背中に手を掛けて早く行きましょうよと声を掛けているようなリアルな銅像であった。

日和山公園の芭蕉像日和山公園の芭蕉像と筆者

筆者も芭蕉一行とともにこの石の巻が3.11の震災から一刻も早く立ち直ることを祈って止みませんでした。

新田町石碑石巻の芭蕉一行の宿泊地の新田町にある石碑

この石碑は石巻の繁華街にあるホテルの敷地の一角にひっそりと建っていた。