曽良の随行日記によると2人は旧歴5月5日日(陽暦6月21日)仙台入りし、国分町の大崎庄左衛門宅に宿を取っている。仙台では大淀三千風という東北俳壇の中心人物をあてにしていたが、 生憎伊勢に帰省中で、結局画工の北野加右衛門と知り合い、仙台での4日間を加右衛門の案内で榴ヶ岡天神、木の下の薬師堂等を見て廻った。

笠島の道祖神路

名取市の奥州街道脇の道祖神路

笠島は いづこ皐月のぬかる道

芭蕉は梅雨のぬかるみの道の為、ここで2キロ左山側の歌枕で名高い笠島にある藤原実方の墓所を廻ることを断念したが、我々のツアーは一旦仙台に入り翌日実際にそこを訪ねた。

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芭蕉の奥の細道:5月3日の旅

鐙摺(あぶみずり)白石(しろいし) の城を過ぎ、笠島の郡に入れば、「藤中将実方の塚はいづくのほどならん」と人に問へば、 「これより遥か右に見ゆる山際のさとをみのわ・笠島といひ、道祖神の社、かたみの薄今にあり。」と教ふ。このごろの五月雨に道いとあしく、身つかれ侍れば、 よそながら眺めやりて過ぐるに、箕輪・笠島も五月雨の折にふれたりと、

笠島はいづこ五月のぬかり道

前日の節で述べたように芭蕉一行は五月雨のぬかる道の為に笠島に廻るのを断念して仙台に向かいましたが、 私たちツアーは一旦仙台に宿泊した後、翌日引き返して笠島を訪ねた。

芭蕉の奥の細道:5月5日の旅

武隈(たけくま) の松にこそ目覚むるここちはすれ。 名取川を渡って仙台に入る。あやめ葺く日なり。旅宿を求めて、四五日逗留す。ここに画工加右衛門という者あり。いささか心ある者と聞きて、知る人になる。この者、「年ごろ定かならぬ名所を考へ置きはべれば」< とて一日案内す。宮城野の萩茂り合ひて、秋の気色思いやらる。玉田・横野、躑躅が丘はあせび咲くころなり。日影も漏らぬ松の林に入りて、ここを木の下といふとぞ。昔もかく露深ければこそ、「みさぶらひみかさ」とはよみたれ。薬師堂・天神の御社など拝みて、その日はくれぬ。なほ、松島・塩竈の所々、絵に書きて贈る。かつ、紺の染緒付けたる草鞋二足餞す。さればこそ、風流のしれ者、ここに至りてその実を顕す。

  あやめ草足に結ばん草鞋の緒

かの絵図にまかせてたどり行けば、奥の細道の山際に、十符の菅あり。今も年々十符の菅菰を調えて国守に献ずといへり。

筆者の第八回目のツアーの行程: 平成24年5月17日(木)

芭蕉の足跡を訪ねて長兵衛が詠む:

 笠島や 木の芽ふく村 歌人塚

 あきらめし 実方西行は 森の中

 若葉青葉 ハイビジョンで見る
                 古き城

 木の下や 皐月の雨に 大草鞋

 

第八回目のツアーの2日目:
一旦笠島へ戻り、また仙台市内へのルート地図

藤原実方の墓藤原実方中将の墓

千年以上の時を超えてこのように都から遠いこの地に石碑が残り後世の人々が訪れて来ることは凄いことだと思った
さくらがり 雨はふりきぬ
   おなじくは ぬるとも花の
       かげにかくれむ   実方


西行の歌碑実方の墓の傍らにある西行の歌碑

朽ちもせぬ 其の名ばかりを
   留置きて かれ野のすすき
     かたみにぞ見る  西行

 

かれ野のすすき実方の墓地の入口にある芭蕉の句碑とかれ野のすすき

笠島ハ いづこ皐月の ぬかる道
はせを

中古三十六歌仙の一人藤原実方の墓地であり、西行も訪れたこの歌枕の地を芭蕉もさぞ訪れたかったであろうこと想った

説明板ー実方の墓藤原実方の墓の説明板

藤原実方朝臣(実方中将)は三大歌仙の一人で一条天皇に仕え、左近衛中将であったが、藤原行成卿(書道の大家、三蹟の一人)との争うがもとで長徳元年陸奥の守に左遷され、笠島道祖神の神罰に会いこの地に没した。・・・・実方は能因、西行に先駆けて、いわば陸奥の歌枕散策の先鞭をつけた歌人であった・・・・・という説明が載っている。

 

青葉城の伊達正宗銅像青葉城の伊達正宗公騎馬銅像

慶長6年(1601)伊達正宗は関ヶ原の戦いの功により旧国分氏の居城、青葉山に仙台城を築城した。
その後、城下町の建設、領内検地、北上川改修と石巻海港、支倉常長の遣欧など大事業を経て62万石の大大名にになったが、実質は隠れ100万石と言われた。

青葉城入口の橋青葉城への入口の橋

 

 

 

 

桜が丘公園
桜が丘丘公園の芭蕉句碑


仙台東照宮石段仙台東照宮の参道の石段

 


仙台東照宮仙台東照宮の唐門

仙台東照宮の随神門仙台東照宮の随身門

陸奥国分寺陸奥国分寺山門

芭蕉句碑ー草鞋の句陸奥国分寺境内にある芭蕉の句碑

あやめ草足に結ばん草鞋の緒

 

榴ヶ岡天神宮榴ヶ岡天満宮
拝殿と本殿は3.11の震災で大きな被害に会い修復工事中
 境内は仙台の俳人の句碑が立ち並ぶ

 

芭蕉の辻

芭蕉が辻
道標には「北 津軽三厩迄 四十五次百七里二十二丁」と刻まれてあった。この石碑は伊達藩の芭蕉という名の隠密虚無僧のに因んだものという説が有力で、松尾芭蕉とは係ないそうです。