曽良の随行日記によると2人は旧歴5月3日日(陽暦6月19日)飯坂を出発し、伊達の大木戸、 鐙摺、甲冑堂を過ぎて白石に一泊し、4日に岩沼で武隈の松を一見した後、梅雨のぬかるみの道の為、歌枕で名高い笠島の藤原実方の墓所を廻ることを断念し、道を急いで夕刻仙台に到着した。奥の細道にあるように岩沼には泊まっていない。

甲冑堂

白石・田村神社の甲冑堂内の佐藤嗣信・忠信の妻女の甲冑像

芭蕉は義経の心酔者であったようだ芭蕉

いくさめく 二人の嫁や 花あやめ 桃燐

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芭蕉の奥の細道へ5月3日の旅

鐙摺(あぶみずり)白石(しろいし) の城を過ぎ、笠島の郡に入れば、「藤中将実方の塚はいづくのほどならん」と人に問へば、 「これより遥か右に見ゆる山際のさとをみのわ・笠島といひ、道祖神の社、かたみの薄今にあり。」と教ふ。このごろの五月雨に道いとあしく、身つかれ侍れば、 よそながら眺めやりて過ぐるに、箕輪・笠島も五月雨の折にふれたりと、

笠島はいづこ五月のぬかり道

岩沼に宿る。

奥の細道には飯坂を発ってから、伊達の大木戸、鐙摺、甲冑堂を過ぎて白石城を経てから、五月雨のぬかる道の為に笠島に廻るのを断念して岩沼に泊まったとあるが、 曽良の随行日記によると白石に泊まり、次の日は岩沼には泊まらず一気に仙台まで行っている。また、笠島のことを「これより遥か右に見ゆる山際のさとをみのわ・笠島といひ」と 記しているが、実際笠島は行く手の左側にある筈で、芭蕉の勘違いか或いは道に迷ったためかという説もある。

また、奥の細道の5月1日の飯坂・医王寺の項で芭蕉は佐藤継信・忠信の妻女の義母に対する心遣いに対して涙を流したと記しているが、実際はこの日の田村神社の甲冑堂でのことであろうと考えられている。佐藤兄弟の妻たちが、夫の母を慰めようと自ら甲冑に身を固め、戦死した夫たちの凱旋した姿をしのばせたという言い伝えだ。

芭蕉の奥の細道:5月4日の旅

武隈(たけくま)の松にこそ目覚むるここちはすれ。 根は土際より二木(ふたき)にわかれて、昔の姿うしなはずと知らる。先づ能因(のういん) 法師思ひ出づ。往昔(そのかみくま)陸奥守にて下りし人、この木を伐りて、名取川の橋杭にせられたる事などあればにや、 「松はこのたび跡もなし」とは詠みたり。代々、あるは伐り、あるひは植ゑ継などせしと聞くに、今はた千歳のかたちととのほひて、めでたき松のけしきになん侍りし。 「武隈の松見せ申せ遅桜」と、挙白というものの餞別したりければ、

 桜より 松は二木を 三月越し

芭蕉は武隈の松には大変感動した。元から2本にわかれていて美しい。能因法師の「武隈の松はこのたび跡もなし千歳を経てや我は来つらん」という歌を思い出した。
また、挙白がこの旅の出発間際に読んでくれた
「武隈の松見せ申せ遅桜」という句に対す句を詠んだ。
"江戸で遅く咲く桜を見てから、あこがれていたあの有名な武隈の二木の松を、今ようやく三月越しに見ることが出来たよ"

筆者の第八回目のツアーの行程: 平成24年5月16日(水)

芭蕉の足跡を訪ねて長兵衛が詠む:

 青葉映え 甲冑すがた たくましき

 あぶみ摺り いにしえ道は 草の中

 白壁の 城のひび割れ 初夏の空

 武隈の 松は昔を 語りおり

 

第八回目のツアー:
伊達の大木戸より仙台へのルート地図

諏訪神社の芭蕉句碑越河宿の諏訪神社境内にある芭蕉句碑

咲きみだす 桃のなかより 初さくら

諏訪神社より東北本線諏訪神社より東北本線の列車が通るのが見えた

 

馬牛沼馬牛沼

曽良の随行日記には「万ギ沼・万ギ山有」と記されている。坂上田村麻呂がこの付近の山賊を征伐して村人を助けたという伝説が残っている。


田村神社

田村神社の入口

桓武天皇の御世にこの辺りの山中に潜む山賊を討ち、田作や稲刈りの指導をした坂上田村麻呂の徳に里人が感謝して、神として祀ったと伝えられている。境内には源義経の家人佐藤継信・忠信兄弟の妻女・楓と初音の甲冑姿を祀った甲冑堂がある。

 

甲冑堂田村神社境内にある甲冑堂

芭蕉が佐藤継信・忠信の妻女・楓と初音の義母に対する心遣いに対して涙を流したのは、飯坂の医王寺でではなく、実際はこの田村神社の甲冑堂でのことであろうと言われている。



甲冑姿の楓と初音甲冑姿の楓(右・継信の妻)と初音(左・忠信の妻)
”二人の嫁がしるし、まずあはれなり。女なれどもかひがいしき名の世に聞こえつものかなと袂をぬらしぬ”  芭蕉は義経の大変な心酔者であったようだ

 

鐙摺石鐙(あぶみ)摺り岩

越河と斎川の間の旧奥州街道の険路は馬が一騎やっと通れる位の細道で、馬のあぶみがこすれた跡が残る岩がある

 

白石の温麺昼食の白石温麺(うーめん)
白石IC北にある白石温麺茶屋にて

 

 

白石城跡白石城の天守閣
2011年3月11日の東北大震災で被害を受け、天守閣の白壁にひび割れが各所にみられ、修復工事中であった
白石城は仙台伊達藩・家臣片倉小十郎景綱の居城

 

大砲の銅像白石城の境内にある横綱大砲関の等身大の銅像

 

高浜虚子の句碑白石城の境内にある高浜虚子の句碑

羽と陸 併せて蔵王 夏の山

 

韮神山の芭蕉句碑

韮神山(にらがみやま)の芭蕉句碑
伊賀上野で詠んだ句で猿蓑に載っている
鶯の笠おとしたる椿かな
この地にはかつて「憚りの関」があって、枕草子にも「ただごえの関ははばかりのせきと たとしえなくこそおぼゆれ」と書かれている位古く都にも知られていた。

 

竹駒稲荷神社竹駒稲荷神社
京都の伏見稲荷、常陸の笠間稲荷と並んで日本の三大稲荷






二の鳥居の脇にある芭蕉句碑竹駒稲荷神社の二の鳥居脇にある芭蕉句碑

桜より 松は二木を 三月越

武隈の松武隈(たけくま)の松
二木(ふたき)の松とも言われている

 

 

武隈(たけくま)の松は竹駒神社の北側の裏通りにあり、根元が1つで2本に分かれた松で、昔から何代にも亘って植え継がれ来ており、平安時代から都人に歌枕として親しまれていたために、芭蕉も是非訪れたいと思っていたようだ。
現在の松は7代目で文久2年(1862年)に植えられたと伝えられている

植えし時 契りやしけむ武隈の 
    松をふたたび あい見つるかな 
         藤原元良 (後撰和歌集)

たけくまの 松はこのたびあともなし
  ちとせをへてや我はきつらん  能因法師

朧より松は二夜の月にこそ   謙阿

桜より 松は二木を 三月越  松尾芭蕉