編集後記(讃岐の国前半)

今回の区切り打ち遍路は何が新しかったか?

 念のため出発前に係りつけの整形外科医に行って腰痛(椎間板ヘルニア)の具合を確認しようと思ったのですが、生憎計画停電の為に医院はお休みであった。その結果、万一の場合の痛み止めの薬など用意出来ずの出発となった。

 案の定、第1日目の雲辺寺の登りで先ず腰がこわばり始め、更に最後の長い急な下りで痛みが始まった。これでは後の3日間は歩き通せるかどうかとの不安がよぎりました。幸いなことに第2日目は最後にご親切な地元の方のご接待で車に便乗させて頂いたり、第3日目は8kmの国道の歩きを電車に乗るなどして、どうにか4日間を歩きおうせることが出来ました。その上、今回は一日たりとも雨の日がなく天気は上々で、歩き出すと1時間もしない内にシャツを脱がねければ暑いほどで、快適な歩みを続けることが出来ました。

 更に、他のお遍路さんとの出会いに関しては、最初の晩に泊まった民宿岡田が常連お遍路のたまり場のような宿であったりして、様々な方との出会いに恵まれたことは大変貴重な体験になりました。矢張り、歩きお遍路を楽しくするコツの一つは適切な遍路宿選びにあると痛感した次第です。

 今度の讃岐の国お遍路の前半から、ルート地図の表し方を一変しました。Google Earth地図を利用しましたので、一つの地図で拡大した詳細の情報も表示出来ますし、縮小して全体を一覧して見ることも出来るようにしました。 お使いのパソコンにまだGoogle Earth APIのソフトがインストールされていませんでしたら、その旨のメッセージが出ますので、ソフトは無料ですからダウン・ロードして下さることをお勧め致します。操作は数分で済みます。


 
 大阪のUmさん及び今後讃岐の国の前半の区切り打ちを計画している方々のために:

(1)遍路宿の選択に就いて

 讃岐の国の区切打ちの最初の難関は標高900m余りの四国霊場88ヶ所の中での最高所にある六十六番雲辺寺の登り下りです。このルートの要衝にあるのが民宿岡田です。前日、JR三島駅付近の宿を発って、六十五番三角寺に参り、この宿に泊まるのが常識的な約20kmのルートのようです。 この宿に泊まらないで、次の宿まで足を延ばすとなると、雲辺寺には宿坊がないので、更に10kmの厳しい登り下りを経験しなければならず、余程の健脚でないと無理だと思います。現に、次の民宿青空屋で同宿になった方は、三島の宿を朝発って、三角寺に参り、佐野部落経由で、雲辺寺へ登り下りをされた方が居ましたが、最後の下りは死にもの狂いだったと言っていました。

 民宿岡田の良さはこの位置的な要素だけではありません。ここはご主人の岡田さんの人柄もあって、お遍路の常連客に大変人気があり、夕食時の交歓は大変楽しいもので、お遍路に関する色々な情報も得ることが出来ます。残念なことにこの宿はそれ程大きな宿ではないので、予約が取れない場合があるそうです。従って、計画の大要が決まったら、先ずここの予約を押さえておくことをお勧め致します。

 次に小生が泊まったのは、雲辺寺山を下った麓にある民宿青空屋でした。ここは平屋建の大変綺麗な宿です。平屋ですから2階への上り下りがなくて楽ですし、夕食に鰻の蒲焼きが出るなどして食事も良いようで、この為にインターネット上で遍路宿ランキングで上位に入っているようです。但し、民宿岡田に前泊した場合は10kmちょっとしか距離がありませんので、健脚には早く着き過ぎてもったいないというのが民宿岡田での夕食時の大方の意見で、少なくても六十七番大興寺手前の”民宿おおひら”まで足を延ばすべきということでした。然し、小生のように貧脚で旅をゆっくり楽しもうという手合いにはここが最高でした。

 第3日目に泊まったのは、七十番本山寺のすぐ前にある一富士旅館でした。ここは古い昔からあると言った旅館で、女将が大変気さくな方で、料理には心のこもった家庭料理がでます。唯一つの難点は洗濯機があるが乾燥機がないということです。トイレも洋式のものが一つしかないのでちょっと困りました。

 第4日目には是非七十五番善通寺の宿坊「いろは会館」に泊まって、朝の勤行に参加したいと思っていました。所が、道中2回予約の電話を入れましたが、2回とも別々の理由でお泊めできませんと断られました。後で遍路宿で聞いたところによると、四十四番の大宝寺と同じように大口の団体の予約がない日は個人のお遍路の予約は受けないらしいということが判りました。但し、経験あるお遍路の話ですと、ここの料金は安いし、お風呂も大きい温泉風呂で良いそうです。予約の電話を入れてみて、予約出来れば是非ここの宿坊に泊まることをお勧めします。若し、駄目でしたら、赤門の傍に山本屋本館と魚勘旅館が近くて良いのではないでしょうか。小生は山本屋本館に泊まりましたが、ここでは洗濯をお接待でして下さいます。

 第5日目は帰途に着く前の晩なので、JR宇多津駅前のホテル・サンルート瀬戸大橋に泊まりました。ここはシングル5,000円で内容のあるバイキングの朝食付で、快適でしたが、難点はコインランドリーがないことで、旅の途中に泊まるには適してないと思われます。

(2)ルートの選択に就いて

 ルートの選択で問題になるのは、先ず六十五番三角寺から六十六番・雲辺寺の登り下りのルートです。何しろ山の上の雲辺寺には宿坊がありませんので、一日の内に標高差900mを登って下らなければなりません。三角寺から雲辺寺までは登り下りで20km余あり容易ではありません。従って、徳島県三好市の佐野部落にある民宿岡田を経由するのが妥当だと思われます。

 然し、腰に爆弾を抱えた小生には、その民宿岡田までのルートも問題でしたので、前もって民宿岡田に電話してそちらまで行くバスの便がないか尋ねてみました。 順当に行けば、予讃線の三島か川之江駅から佐野部落へ向かうべきですが、以前にあった路線バスは乗客が少ないので廃止になったそうです。その代わり、なんと土讃線で阿波池田まで来れば、三好市営バスが平日に限って佐野部落まであるということを教えて下さいました。また、当日バスに乗る時判ったのですが、佐野部落までの料金500円が70歳以上は半額の250円でした。

 後は、雲辺寺に登るロープウェイもありますが、ロープウェイの山麓駅までの公共交通機関がありません。ロープウェイは主にバスによる団体お遍路か、自転車によるお遍路に利用されているようですが、歩き遍路には向いていません。

 最後に、七十番本山寺から七十一番弥谷寺に行く場合、国道を8km歩く代わりに、JR本山駅から三野駅まで電車に乗る手もあります。これは弥谷寺の山門から540段の石段の登りを考慮して、可也の歩きお遍路さんも利用すると聞きました。

今後のお遍路旅に就いて

 次の区切り打ちは愈々最後の区切打ちの七十九番・天皇寺からになりますが、恐らく六月初旬の梅雨に入る前になると思います。出来たら、八十八番を終えた後、徳島から船で和歌山に渡り、高野山を詣でた後、大阪でUmさんと祝杯を挙げたいものだと思っています。

仏教に就いて再度考えたこと



 前回と前々回の「編集後記」では意味の全く判らない仏教のお経の読経に就いて疑問を呈しました。

 このことは未だに回答を得られていませんが、七十五番・善通寺での朝の勤行で住職が話される法話が何か参考になるのではないかと期待していました。

 大変残念なことに、善通寺の朝の勤行は30分の読経が終わると、住職はじめ6人の僧侶は一般参加者を尻目にさっさと退堂していきました。一般人との対話の機会を無視しているような善通寺の態度は弘法大師の意思に反しているようで大変残念に思いました。

この問題に就いては、更に色々な方と話したり、書いたものを読んだりしたいと思っています。
今回の旅で出会ったお遍路さん達 

 今回は最初の晩に泊まった佐野部落の民宿岡田の夕食会の席で主人の岡田さんを含めて8人ものお遍路さんと歓談する機会に恵まれました。一組のご夫婦は初めての歩き遍路ですが、一番札所から通して歩いてこられており、その途中に3月11日の東日本大震災で福島県いわき市の自宅が被害に会われたそうです。福島原発に近いため帰ることも出来ず、お遍路を続けているとのこと、何と痛ましいことか。
 
 その他の方は千葉の木更津からのご夫妻、長野の伊那からのご夫妻、他3人の男性を含めて皆2回以上複数回廻られた経験者で、民宿岡田のファンの方ばかりでした。

 ご主人の岡田さんは一同の夕食会に笑顔で同席し、話の輪に加わるだけでなく、明日以降のお遍路ルートに関して独自のルート地図を提供して迷い易い地点の説明などをして下さった。その地図には美味しいうどん店、焼餅のお接待がある菓子店、休憩に適当な喫茶店などが記されていました。

 2日目に民宿青空屋で同宿になった自転車お遍路の方は、1回目は歩きで廻わり、今回2回目は自転車で廻られているそうです。一回目の貴重な経験として、八十番国分寺から八十一番白峰寺に登る途上で、野鳥の餌付けをしている地元の老人に会い、自分の掌に野鳥を載せて餌を与えた感動の経験を話してくれました。

 3日目に一富士旅館で同宿になった方は、60歳を過ぎてから毎年連続して廻られているベテランで、今回は5回目のお遍路だそうでした。ご自分では可なり早いペースで歩かれる方のようでしたが、小生のようなスローペースのお遍路も中々味があるやり方だと褒めて下さいました。

 最後に、4日目の途中に暫らく一緒に歩き、昼食のうどん店に一緒に入り、丸亀城址に登ったフランスから来たお遍路さんも印象に残りました。彼はお遍路するのは何ら信仰上の理由はないが、日本を知るには歩い見聞するのが一番良い方法だと言っていました。また、歩くことは健康に非常に良いことだとも言っていました。
帰宅して1週間ほど経った頃、彼から英語の電子メールが届きました。フランス人なので英語風でない英語の文面で無事四国の旅を終わりました。これからもう少し日本発見の旅を続けますと書いてありました。